出自と初期の活躍
徐盛は琅邪郡莒県の出身で、孫権の時代から呉に仕えた。若い頃から武勇に優れ、数々の戦いで功績を挙げた。
孫権への仕官
徐盛は孫権の覇業拡大期から仕官し、各地の征伐に参加した。その武勇と忠義は早くから認められていた。
濡須口の防衛
徐盛の最も有名な功績は濡須口の防衛である。この要地を守ることで、呉は魏の侵攻を食い止めた。
濡須口の戦略的重要性
濡須口は長江の要衝で、呉の都建業を守る重要な防衛拠点だった。ここを破られれば呉の中枢が危険にさらされる。
- 地理的要衝:長江の狭窄部
- 戦略的価値:建業防衛の要
- 防衛施設:濡須塢の建設
- 水軍基地:呉水軍の重要拠点
濡須での戦い
徐盛は濡須口で魏軍と何度も交戦し、その都度撃退に成功した。特に水上戦での活躍が目覚ましかった。
偽城の計略
徐盛の最も巧妙な戦術として知られるのが偽城の計略である。一夜にして偽の城を築き、敵を欺いた。
偽城建設の詳細
222年、魏の曹仁が濡須口を攻撃した際、徐盛は一夜のうちに偽の城壁を築いた。これは布や竹を使った巧妙な偽装工作だった。
- 建設期間:一晩で完成
- 材料:布、竹、木材
- 効果:魏軍の心理的動揺
- 結果:曹仁の撤退
心理戦の効果
偽城は物理的な防御効果よりも、敵軍の士気を挫く心理的効果が大きかった。曹仁は呉の準備の周到さに驚き、撤退を決断した。
賊在石頭、今急救之、有何由得之。昨夜建城壁、若此何不避之?
「敵が石頭にいるのに、今急に救援するとは、どうやって得られよう。昨夜城壁を建てるとは、このようなことをなぜ避けないのか」という曹仁の言葉が、その驚きを物語っている。
軍事的才能
徐盛は単なる猛将ではなく、築城術や欺瞞戦術にも長けた知将だった。その多面的な才能が呉軍の中で重用される理由だった。
築城術
徐盛は築城術に優れ、濡須口の防御施設の強化に大きく貢献した。彼の設計した防御工事は魏軍を長期間防ぎ続けた。
欺瞞戦術
偽城の計略に代表されるように、徐盛は敵を欺く戦術に長けていた。これは単なる力押しではない、知略を重視した戦い方だった。
人物像と評価
徐盛は勇猛さと知略を兼ね備えた理想的な武将として評価された。孫権からの信頼も厚く、重要な防衛任務を任された。
忠義と人格
徐盛は孫権への忠義が深く、どのような困難な状況でも持ち場を離れることがなかった。その責任感は部下たちの手本となった。
孫権の信頼
孫権は徐盛を「呉の長城」と称し、濡須口という重要拠点の防衛を任せた。これは徐盛への絶大な信頼の表れだった。
徐盛以為国之良将、宜善待之
最期と後世への影響
225年、徐盛は安東将軍として病没した。その死は呉にとって大きな損失であり、濡須口の守備体制に大きな空白を生じさせた。
軍事的遺産
徐盛の築城術と欺瞞戦術は後の呉軍に受け継がれ、防御戦術の手本となった。特に偽城の計略は兵法書にも記録された。